「武医同術」考(1)

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2017年5月、日本武道医学専門課程に在学して3年の就学過程を修了しました。

無時満期を迎えられたことが素直にうれしく思います。

就学しようと決めた経緯は後日に改めるとして、まずこのブログのタイトルに拝借した「武医同術」について書くことにします。

中山清先生がご自身の著書の表題も「武医同術」でありますし、学校の扉を開けて中にはいると目の前にこの直筆の額が飾られてあります。

武醫同術 東郷平八郎」
日本武道医学と東郷平八郎とはどのような繋がりがあるのだろうと思っていました。


あるブログ(雑記帳:http://www4.plala.or.jp/higashimachi-jtc/doctor1024.html)最末尾に「柔道整復記念碑」(2011.1.3)とタイトルがつけられた、次のような文が写真とともに添えられていました。

  「明治7年、明治政府の『医制』の公布により、それまでの『接骨医』は、制度上消滅の危機にさらされた。明治45年『接骨術公認期成会』が接骨術の公認運動を行ない、大正9年4月21日名称を柔道整復術と替え公認されました。」

その記念碑が大正10年茨城県東海村に建立された、と書いてあります。
この写真には、「茨城県柔道整復師師会、記念誌から転載」とありまして、確かに東郷平八郎元帥の筆跡が彫られています。

それは、村松虚穴蔵尊堂であるという情報がインターネットで出てきます。しかし、村松虚穴蔵尊堂のHPを調べてもそのような石碑の存在が出てこないので、一般的に喧伝しているようなものでもなく、これ以上インターネットで追うことは難しいと判断しました。

今風の俗っぽい考え方をもって見れば、東郷平八郎直筆が彫刻された石碑は元帥の功績を鑑みれば良い宣伝になるのではないかと思うので、むしろ人目につかなくしている方が不自然に感じられました。


日本武道医学創始者中山清先生の「武醫同術」(1984年7月28日第一刷)の標題には東郷平八郎直筆の書がそのまま掲載されています。

そして、ページをめくるとすぐ巻頭に「本書作製の動機」があります。

「本書題目の『武醫同術』は、著者数十年間の東洋医学講座を担当し、其間正骨学科創設以来「破邪顕正、柔抑剛制」の精神が治療精神の基であることを力説して、今日(昭和59年)に到っていますが、多くの聴講者の中で幾人かの達識諸氏によって、『日本武道医学学会』が組織されました。この治療精神理解者の中で我部正彦氏が表題の拓紙を送られたことを感謝し、尚学会組織尽力諸氏の記念として、本書を出版することにしました。」

「本書の出版が期せずして、標題筆者の東郷元帥国葬日より50周年に当たります。……」

とあります。

中山先生は直接東郷元帥との接触はなかったものと思います。

東郷元帥が「武醫同術」の書をしたためた経緯もまた不明ですし、柔道整復師師会との関わりはむしろ石碑を建立した茨城県柔道整復師師会の方に問い合わせするほうが筋なのかと考えていたところ、「茨城県柔道整復術史」という本が手に入ったので多少いきさつが解かるかもしれません。

その拓紙を我部正彦氏によって日本武道医学会に贈呈され、現在そこで保存しているという事実だけは確かなことです。

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